2007年06月05日

祐ちゃんを撮れず、女房は罵詈雑言 


昨日早稲田の穴八幡付近を歩いていたら、野球チームの優勝パレードに偶然出くわした。最初はあまりの警官の多さ、沿道の人の多さに何事かと思ったが、ブラスバンドの音で、そうか今日は、祐ちゃんの優勝パレードか、どうりで老若女性の姿が目立つ。
 私も女房にせかされて、携帯電話で祐ちゃんを撮影しようと、パレードに近づいたが、女性たちに、はじき飛ばされてうまく撮れない。やっと撮ったと思ったら、ご覧のように、首から下。
 祐ちゃんが、どこにいたかも分からない。
 女房だけは「お父さん、いたいた」と黄色い声で叫び、パレードの群衆の中に消えていった。ドジな私は、祐くんも、女房も見失い、ただ後続のパレードを眺めるだけ。
 後で、帰宅した女房は私の撮った写真を見て、アホ、マヌケというような暴言。
パレードの中に消えた女房、消えたままだったらよかったのに、心底思った一日でした
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2007年05月29日

タカリで成り立っている? この国

 ●大物代議士の名刺はン百万円?

 かなり以前のことになるが、私の先輩2人に連れられて、ある大物国会議員の地元選挙事務所へ行ったことがある。議員の秘書が先輩の大学の同級生だという。A 先輩は地元の大きな企業の跡継ぎであり副社長、つまり大票田を左右できる立場にいる。

 もう1人のB先輩は地元に住んでいないが、地元の貴重な伝統行事を映像記録に残そうと、仲間の何人かと、数年がかりで手弁当でビデオ映像創りに励んでいた。何年かにわたって地元に通い、資金が苦しくなってきたので、地元企業の資金的応援を得たいと、同級生である大物国会議員秘書氏に相談に来たのである。
 大物議員の事務所だけあって、電話がじゃんじゃんかかってくる。聞いていると、ほとんどが土木工事の紹介や斡旋のようであった。
 同級生の秘書氏はB先輩に向かって、
「おう、それはいいことだな」

 とB先輩の伝統行事の映像記録作りに、大賛成のようであった。しかし、紹介のためには、お金がかかるとのことであった。詳しくは忘れてしまったが、議員の名刺に一筆書いてもらうと、百万とかとんでもない額が必要だという。紹介料として政治献金してくれということなのだろうが、政治家は商売も、文化も関係なく金にしようという人種なのだと、いささか驚いたことがある。

 A先輩もB先輩も政治の世界にうといので、同級生の秘書氏に憤慨し、
「あいつも変わったな。金の亡者だな」などと怒りをあらわにしていた。


●陰の選挙事務所で選挙民は飲み食い

 その後、B先輩と私が宿泊する場所にA先輩が案内してくれた。宿泊先はA先輩の会社が所有する大きな平屋建ての民家で、建坪200坪ある大きな古い民家である。町の中心に近く、大広間は40畳ほどある。
 つい先日までこの屋敷は、選挙中は大物議員の陰の選挙事務所になっていたという。選挙期間中は、何百人、何千人の選挙民が飲んだり食ったりするところなのだという。選挙民はさまざまな候補者の所に行っては、ただで飲み食いし、「あそこの飯はまずいが、ここは飯もいいが、酒もいい」と批評しながら、毎日のように飲み歩くらしい。
 この地方都市も若者は都会に出て、元気がない。残った中高年の元気が出るのは選挙の時である。選挙は元気の出るお祭りであるらしい。


 経済が低迷しているので、生活は当然苦しい人が多いから、ただでご馳走や酒が飲めるのは願ってもないチャンス。したがって選挙資金も膨大なものになるらしい。飲ませ食わせのほかにも、さまざまな出費があり、巨額な金になるだろう。それを考えると、先輩秘書氏にやや同情もする。

●タカリで成り立っている?この国

 昨日、松岡農林大臣が自殺をしたが、これも選挙資金を集めるために自らの命を縮めたのかもしれない。
 選挙民がたかることをやめない限り、議員たちも無理な資金集めを続けざるを得ないし、また官僚、産業界を含めて税金のおかしな使い方は果てしなく続くように思える。
 誰が鶏で、誰が卵かわからないが、この国はタカリで成り立っているようにさえ思える。
 知人がパートで勤めている会社では、有給を申請し法事に行ったら、欠勤扱いにしされ、ぼやいていた。社員は適当に有給を取っているのに、パートは有給を取らせないようにしているという。これも一種のタカリである。小はこういうものから、大は年金の何兆円もの流用。
 このままでは、この国はますます活力がなくなり、人口が減少するだろう。
posted by ごっとん at 12:57| 東京 曇り| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月26日

細井平洲の嚶鳴館遺草


●君は右翼?
 愛知県東海市の細井平洲記念館を見学し、喫茶店で電子版の篠田竹邑氏による嚶鳴館遺草の現代訳をパソコンに入れ読んでいたら、
「君は右翼だったの?」
と知人に言われ、こちらも、「俺は右翼なのか?!」と驚いた。
 封建時代の書物を読んでいると、なぜか右翼という人がいる。横文字を読んでいると民主的な人という。先入観なのだろうが、なんかおかしい。

細井平洲は徹底した実学の人である。学んで思い、考え、実践につながらなければ、学問とはいえない、そう弟子に教え、自分もそれを実践した。


 そのため教え方も実践的である
●実践的教え
==良い役人を循吏・良吏といい、悪い役人を酷吏・賊吏いいます。
 循良の役人は、心正しく、欲深くなく、法を乱すことなく、不義非道の指図などせず、慈悲深く、下の者を優しく世話をして、
「こうしたことでは、上が気に入らない」からと言って下の者を苦しめず、また、上を欺かず、家国の将来を心配しながら役目を務める者でございます。
 一方、酷賊の役人は、貪欲・依怙贔屓(えこひいき)で、法を曲げ、権威を振りかざし、厳しい指示を下の者に加え、目の前の手柄を得るために、家国の将来のことなど考えず、自分一人の立身出世ばかりを心配する輩でございます。
 国に循良の役人が多ければ、君主の徳は万民に行き渡り、民も心からしたがい、これを天地も喜び、祝福して、家国を富ませ、強くして、末永い繁栄が続くこととなり、その様子は、こだまが返るようなものです。
 酷賊の役人が多いと、人々嘆き、恨むこととなるため、天地も家国に災いをもたらし、衰退滅亡となるのは、日に影がさすようなもの。
 この二つの道理を、よくよく理解して、各々の職の重さを知り、職務に精励する人を忠臣といい、家国の至宝となるものでございます。===

 制度は時代によって変わろうと、基本は細井平洲のいうとおりであろう

教育の大切さ
細井平洲は教育に大変力を入れていた。現代も教育はさまざまな意見があり、大問題になっているが、現代でも細井平洲の次の基本的考えより、優れたものはないように思う。


===<「幼、壮、老」に応じた教えあることを知ること>
 草木を植え、その育つ姿というものは、二葉、三葉から次第に成長し、大きくなって、ものの役に立つような木や草となるまでには、始・中・終という三段階の成長の過程があるものでございます。
草に勁草(けいそう:強い草)、木に堅い木がありますが、そのどれもが、始めの苗草、苗木の時には、すべて柔らかく、真っ直ぐにも育てられるし、また、曲げて育てることもできるもので、これは、「始」の道理。
 時間を経た草や木となれば、その性質が元々、強く堅く草木の場合には、年を重ねる毎に、強くなるもので、そうなってからでは、添え木をし、縄を巻き、あるいは、枝を伸ばそう、屈めようとしても、意のままにならないもので、これは、「中」の道理。
 花が咲き、実が成り、枝張り、葉茂って、それぞれがその用に立つようになり、終わるのは、「終」。
 大切なことは、心を尽くして、この始・中・終の各段階にふさわしい世話をすることでございます。
 苗木・苗草の時から、心を尽くし、育てれば、煩いもなく良い木、良い草となって、その用を全うすることができるようになるものです。
 しかし、柔らかい苗木なのだからといって、自分の自由になるものと考え、無理に曲げたり、屈めたり、意のままにしようとすれば、どんなに強い草や堅い木でも、枯れたり、傷ついたりして、年月を経て成長したところで、ひねくれ、ねじれて、将来、木材などの用に立たないようになってしまうものです。
 これは、草木だけではなく、動物も同じこと。
 馬、牛、犬、猫などの動物の成長も、始・中・終の三段階の成長過程があることに変わりはありません。
 ですから、こうした始・中・終の各段階の道理をよく理解して、それぞれの段階に無理のないよう育てることが大事なことでございます。
 まして、他の生き物と違い、それぞれの成長の段階を自ら自覚することのできる万物の霊長である人間にとって、始・中・終の各段階の大切さは言うまでもありません。
 ですから、古の聖人は、人の心を正しく育てるための教えや戒めを多く説き、伝えています。
 身分の高い・低い、富める者・そうでない者様々ですが、すべて人としての道を示す教えを捨てて、人としての生きる道はないものです。
 古の聖人は、始・中・終の各段階に応じての、天から与えられた人としてのあるべき心を育むための教えを説いております。
 人間としての、始・中・終は、子どもの頃を始とし、成人となってからを中とし、年をとってからを終とします。
 この三種の時に応じての教え・戒めは、古来、様々に伝えられていますが、大略は、次のようでございます。

 乳を含み、眠り、食べ、遊ぶ子どもの時代には、大人のような分別ある行いを求めないこと、つまり、「かみしも」を着る大人の行うような行いを求めないこと。
 また、かみしもを着るような成人になったからといって、頭はげ、額にしわを寄せた老人のような思慮分別を求め、そうした思慮分別がないからといって責めないことです。
 少・壮・老の三つの時に応じた、その成長にふさわしいことをさせるべきであると教えています。
 段階に応じた教えといっても、人間は、万物の霊長の中で、最も優れた存在で、また、人の心の霊妙な働きは早いものですから、そうした状況に合わせて、よい心が育ち、良い行いができるよう指導し、教えることが大事なことと教え説いています。
 無理を強いることなく、自然と心の成長に合わせて、各人の徳を発揮させることができるのが、聖人の教えであり、まずは、親が手本となることでございます。
<親がまず手本となること>
 人の誕生にあたっては、胎懐といって、妊娠の始めから、父母とも見聞きすることを慎み、生まれくる子どもの幸せを望むもので、誕生してからの子への愛情の大きさ・深さは、いうまでもないことです。
 したがって、教えの道の第一は、まず、最初に教える人となる父母が、まず、善悪邪正の心をもっていることが大事な目安で、幼い子自身の資質によるものではないということです。(嚶鳴館遺草 篠田竹邑氏による現代訳 )

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2007年05月24日

東名でバイクダウン

IMG_0288.JPG 

●おんぼろスクーターついにダウン

 10万キロを超えている、我がおんぼろスクーターは、持ち主と同じで最近エンジンの音が何かヘン。
持ち主の私もやや高血糖、タバコなどで、階段を速足で上ると、息切れが気になる。私もエンジン系が気になる中高年。
 

 しかし天気がよいので、名古屋の知人と会うのに、中高年スクーターで出発することにした。東京から名古屋までJRバスで行けば、5100円だから、高速道路の料金より安いので、少し迷ったが、ついでに東海市の細井平州記念館にも寄りたかったので、スクーターで行くことにした。

 5月の晴れた土曜日、スクーターはおんぼろでも、浜松あたりまでは、快適なドライブであった。
 ところが、豊川インターの手前でエンジンが動かなくなってしまった。エアフイルターあたりからオイルが漏れ、やがてスピードが出なくなり、とても走れる状態ではなくなった。
 幸い高速バスの停留所があったから、邪魔にならない所へ停め、緊急電話でJAFを呼ぶ。JAFは最近はバイクの会員も受け付けているようだが、私は残念ながら非会員であった。

●非会員は3万5千円

 とにかく豊川のバイク屋さんに運んでもらって、修理を依頼。JAFは非会員なので、トータル約3万5千円。会員なら6千円ぐらいだという。後悔先に立たず、である。こうなったら、禁煙をして小遣いを浮かさなきゃいけないと、固い決意を胸に。

 ともかく名古屋で知人との約束を済ませ、次の日曜日は電車とバスで細井平洲記念館へぶらり。
 地元尾張の徳川宗睦、米沢藩の上杉鷹山など大名の先生ばかりでなく、学問を分かりやすく話すため、庶民にも大変な人気であったという。私も平洲に関する本を少し読んだが、儒学者なのに民主的な考え方でびっくりしたことがある。
 内村鑑三が江戸時代第一の教育者といったことも、よく分かる。

●ヒューマンな教育者 平洲

 常に人間に照準を当て、ヒューマンな人物である、こういう人物に今の政治家や官僚を教育してもらえば、日本は世界から尊敬される国になるだろう。そうすれば社会保険庁の不明なデータが5000万件、などという、重罪に等しい犯罪も起こらないだろう。現代に平洲ようなヒューマンな人物がたくさんいれば、国民ももっとヒューマンになるだろうに。
 記念館で細井平洲の本を少し買い、それを車中で読みながら、そんなことを考えていたら、東京に着いた。スクーターは部品を取り寄せなければいけないので、一週間ほど豊川泊まりになるとのこと。


富士山はやはりスゴイ
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2007年01月26日

アパートの住人たち

●分別ゴミに混乱する中国人

 私の母親は小さいアパートを経営している。しかし高齢なので、入居人との契約や不動産会社との交渉を、時々、私が代わってすることが多い。入居人は中国人と日本人が半々。
 最初に中国人を入居させたときは、ごみの捨て方が分からないためか、分別せずにゴミ出しをするため、大変困った。
 日本語で話しても、何が分別ゴミなのか理解できず、中国人も苦労したが、こちらも苦労した。そこで、中国語で書いたゴミ出しルールを廊下に掲げると、こちらの言っていることが理解できたらしく、きちんと分別するようになった。
日本の習慣がよく理解できず、日本人から誤解や非難を受けていることがだんだん分かってきた。

●チワワを飼いたいという離婚女性


中国人のゴミ問題がひと段落すると、日本人の女性が不動産屋から紹介されてやってきた。
 一室が空いたので、募集をかけていたのである。30歳前後の気は強そうだが、美人の女性であった。ただし最近離婚したばかりなので、さびしいので、犬を飼いたいという。犬は小型犬で、最近流行のチワワであるという。

 動物を飼うと部屋が汚されることが多いので、少し思案したが、保証人の親は地方の名士であり、勤務先も有名デザイン会社で、問題ないため、「部屋の汚れを防ぐため、犬のしつけと、カーペットなど汚れ防止の敷物を活用すること」を条件に、オーケーを出した。

 女性の入居後、時々アパートに行って、ほかの入居人に聞いてみると、犬の散歩を定期的にし、犬の鳴き声もまったく気にならず、「やさしい女性」との評判なので、安心した。集合住宅であるから、ほかの入居人に迷惑がかかってはいけない。

●小犬がなき続けている
 

ところが、半年ほどたって他の入居人から苦情が来るようになった。
「犬が鳴き続けている。女性は帰らないことが多いようだ」
 というものだった。そこで、不動産屋を通じ、「犬の管理は他の入居者の迷惑にならないように」とクレームを告げておいた。しばらくは、他の入居者からのクレームはなかったが、3ヶ月ほどしてまたクレームが来るようになった。
「犬がほえているのに、女性は何日も帰らない」
 とのこと

●部屋は糞尿の臭いが充満


もしかして事件に巻き込まれているのでは、と思い不動産屋に電話すると、女性は元気だという。仕事が忙しくて帰れなかったのだという。しかし、犬に何日も餌もやらないで、大丈夫なのだろうかと心配にもなった。
 不動産屋は、「そうですね。ちょっと聞いてみましょう」という。
 
 苦情が多くなったためか、一年もたたずに女性は転居することになった。転居してすぐ、部屋を確認に行くと、部屋へ入ったとたん犬の糞尿の臭いが鼻を突く。フローリングは犬の糞尿のシミが黒々と大きく点在している。大きいのは座布団くらいある。糞尿の臭いで人が住めるような部屋ではなく、犬小屋よりひどかった。

 あとで、女性と親しいほかの入居人に聞くと、その女性の部屋には時々男性が来ていたようだが、いつも同じ人ではなかったという。また「近く結婚する」とのことで、帰らないときは「彼の所に行っていた」という。

●バラバラ・セレブ妻と同類の精神構造


 最近、夫をバラバラにした名門女子大出のセレブ妻の事件を聞いて、アパートの女性と、精神構造に同類のものを感じた。お嬢様かどうか分からないが、気位だけはお嬢様として育ち、ブランド物にこだわり、わがままで、見栄っ張り、そしてセックスに溺れやすい。
 小犬飼育もセックスの合間の「休憩」というわけだ。ドックフードを食べつくした小犬は、狭い部屋を走り回って主を呼び続け、糞尿を垂れ流す。
 すべて自分中心である。地についた生活ができない。

 これは笑い事ではない。われわれ中高年の子供がこのように育ってしまった原因の一端は我々中高年にある。アパートの女性は再婚しても、熱愛期間が過ぎればまた離婚になる可能性は大きいように思える。息子たちも同様であろう。すぐ切れて人を簡単に殺してしまう。
 
 ともあれ、母親のアパートの住人で問題が多いのは、中国人、韓国人よりも、日本人が多い。一般的にわがままである。風呂場の排水溝の掃除をせず流れが悪くなっても自分で掃除せず、「詰まった」と苦情を言う。簡単な掃除さえできないのである。 
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2007年01月15日

老主婦の悩み

●この人は強くて


 法事で田舎へ行き、親戚の家へ泊まったときのこと。
酒席で、老主婦がポツリといった一言。

「この人はもうセックスが強くて。本当に困っちゃう。弱くさせる薬はないかしら」
「うらやましいね、ボクなんか50代でもう終わりですよ」
酒席の50代の親戚が笑いながら応えた。

 しかし老主婦は真剣な顔である。本当に困っているようであった。
 老主婦は83歳である。老夫の方は86歳である。

 老夫は70代のときに、経営している店の20代の女性店員と倉庫でセックスをしている所を、老主婦に見つかり大騒動になった。子供たちは「孫のような女性と、恥ずかしい」と、老夫に説教した。
 老夫の方はセックスではないと、今でもいっているが、「二人ともお尻丸出しなのにバカなことをいうんじゃない」と老主婦は今でも怒っている。

●老主婦も恋心

 その後、夫は80歳で、軽い脳梗塞になり一か月ほど入院した。しかし手足の動きが少しぎこちないという程度で、日常生活にまったく支障がない。

 どころが、「退院してから、よけい元気になって困った」と老主婦はいう。
 法事が終わってから、ほかの親戚に聞くと、83歳の老主婦にはひそかに好意を抱いている男性がいるという。20歳くらい年下の出入り業者の男性だという。その男性が来ると、老主婦は顔が少し紅潮し、饒舌になるという。
「いいわね。あの人」
と、口に出していうこともあるという。しかし不倫関係はまったくないらしい。

 老人になると、仙人のようになり、性欲とは無縁と考える人も多いようだが、決してそうではないようだ。性欲や異性への恋愛感情は生への意欲にもつながる。老人ホームの中には、プライバシーもなく、管理しやすさだけに重点を置き、墓場前の休憩所のような所があるが、老人の人間性を無視しているように思えて仕方がない。セックスをする、しないでなく、人間は性、愛の意欲がなくなれば、生への意欲も失われる。墓場前の休憩所では老人に「次がいるから、早く死ね」といっているに等しいように思える。

         

●優しき色好み 家康

 徳川家康は75歳で亡くなったが、戦乱の中を生き抜いてきた人にしては長生きだろう。家康だっていろいろ病気になっている。その経験から飲食については大変に気を使っているし、薬についても医者以上に詳しく、自分で薬を配合したりしている。囲碁将棋、能、鷹狩などストレス解消法にも長けていた。

 ただ英雄色を好むというが、女性にかけては盛んであったようだ。66歳の時には性病にかかり、困って京都からも医師を呼んでいる。大御所になり、静岡の駿府城に移っても、色好みは止まず、遊女街を公認し、自らも遊びに行っている。また69歳のときオットセイの秘薬といわれる強壮剤を、松前藩に命じて送らせている。 しかし家康は女性たちの面倒見が非常によかったという。子供ができない女性でも、大事にし、女性たちを物見遊山や鷹狩にも連れ出し、ストレス解消をさせていた。
 
 家康はフエミニストのようだ。死ぬ寸前まで、家康は常に女性を伴っていたという。コミュニケーションにも心を砕いていたのだろう。

         *****************************************

 家康も、現代人も性欲は同じである。ただ老主婦の話を聞いても、老夫は家康のように優しくないようだ。コミュニケーションもあまりなく、夜になると「いきなり」とのこと。
 家康に学ばなければいけないのかもしれない。
 
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2007年01月12日

熊が医者だった?

●熊が医者!?

昨年から今年にかけて、本州でも北海道でも人里に熊が出没し、マスコミをにぎわした。
 
 熊といえば、その肉は美味だった記憶がある。
 
 何年か前に、長野県と新潟県の県境にある秘境・秋山郷に行ったが、そのとき泊まった民宿で、夕食に熊肉のにっころがしが出た。やや歯ごたえがあって、なかなかうまかった。2、3日前に獲った熊だそうだ。

 秋山郷は中津川の深い渓谷沿いに人家が点在する。今では道路も整備されたが、昔は雪の多い冬でなくても、旅するのは容易ではなかったという。村民が病気になったときはどうしたんだろう。雑談をしながら、おかみさんに聴いてみた。

「昔は、熊の胆(クマノイ)が医者だったようですよ」
 と宿のおかみさんはいう。冬でかなりの重い病気のときは、戸板にのせ、数日かけて、医師のいる所まで運んでいったが、それほどでもないときは、熊の胆が役立ったという。


●今は金より高価

 この地方では熊の胆はどんな病気にも効く万能薬だったようだ。重い病気になると、乾燥した熊の胆をマッチ棒の先くらい服用すると、ほとんど治ったという。強壮剤にも使われ、猟師は疲れたときは服用したという。
「だから猟師は元気で長生きなんです」
とおかみさんはいう。といっても、昔も熊の胆は高価なものに変わりなく、誰もが簡単に買えるものではなかったという。

 熊の胆は現在も万能薬ということで、大都市での小売は金より高価といわれる。グラム数千円から一万円というから、金の倍以上の価格に驚く。密猟も多く、闇取引も多いそうだ。中国では熊牧場をたくさん作り、輸出品にしているという。日本で売られている熊の胆はほとんどが輸入物といわれている。

 それはともかく、もしこの秋山郷に熊がいなく、熊の胆もなかったとしたら、村人の生活も、かなり変わっていたかもしれない。熊の胆は村民の医者なのだから、医者がいなくなったら、村民はどこかへ移住していたかもしれない。

 自然の妙は驚くばかりである。
 
 
 
 
 
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2007年01月09日

人の命は我にあり

人の命は我にあり、天にあらずと老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れ付たれども、養生よくすれば長し。養生せざれば短かし
                                        養生訓    
                貝原益軒



人間の命は、天が決めるものでなく、人間本人が決めるものであると老子はいった。だから、養生をしなければいけないと貝原益軒はいう。  


   ******************************************

●女好きのKさんの死

 いつも賀状をくれる地方の知人から便りがない。そうだ、最近亡くなったんだ。Kさんという知人との思い出が、走馬灯のように頭の中をよぎっていく。

 顔はいかつく、体格も良く、背広を着るとヤクザ屋さんと間違うほど。どちらかというと、硬派であったという。しかし、硬派ばかりなのかというと、そうでもなく、女性にかけてもなかなかの巧者であった。
 初めて会話をしたような女性でも、
「昔から君が好きだった。もしいやなら、この席から黙って立ち去ってくれ」
と、いかつい顔で真剣にいう。すると女性はそんなに思っていてくれたんだ、と勘違いしてしまう。口説きについては天才的であった。
 そのため、Kさんは常に女性との関係は複雑だった。ほとんど振られたことがないというから、たいしたものである。

●地元の名士になったが、病魔が忍び寄る

 私がKさんと知り合ったのは、Kさんが30代の頃で、友人の紹介だった。その頃はKさんも結婚し、会社での地位も上がっていたためか、ケンカ癖は落ち着いていたようだ。しかし色好みは止まらなかった。
 Kさんは東京で中堅の不動産会社に勤めていたが、その間不動産鑑定の資格もとり、独立のため出身地の県庁所在地に帰っていった。

  5年ほど前にKさんと再会したのは、その県庁所在地のKさんの事務所であった。市内の目抜き通りに事務所を構え、いくつもの会社を経営し、また何軒もの飲食店も経営していた。仕事柄、地元の政界、官界にも顔が利く地元の名士になっていたのでびっくりした。経営の手腕もあったのだろうが、Kさんの学生時代の友人たちも、大学を卒業後今のニートのような状態で、酒びたりだったKさんを考えると、信じられないといった。
 そのときは、Kさんとは再会を祝い、Kさんの店で大いに飲んだのだが、酒と女性は相変わらず、活発なようであった。


 それから、2、3年してKさんが肝硬変で入院したのを風の噂で知った。そして、2年もたたずに、Kさんは肝ガンになり亡くなったことを、やはり風の噂で知った。
長男は大学受験準備中であったという。享年51歳。   ******************************************************  

 
 貝原益軒は養生訓の中で、

「人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず。知恵いまだ開けず、古今にうとくして、世変になれず。言あやまり多く、行悔多し。人生の理も楽もいまだしらず。五十にいたらずして死するを夭(わかじに)と云。」

 50歳以前は半人前だという。まして50歳前の死は若死という。益軒は若い時は不遇な日々も多く、性病を始めさまざまな病気に悩まされている。結婚も39歳というから晩婚である。子供も欲しかったが、できなかった。養子をもらったが、早死にされたり、意のままにならなかったり、最愛の妻を除いたら、あまり恵まれた家庭でもなかった、ようだ。しかし人生は50過ぎからだという。
 実際、益軒が50歳や60歳で死んでいたら、歴史に名を残していなかったはずである。重要な書物の多くは70歳過ぎに出されている。


 人間の命は、天が決めるものでなく、人間本人が決めるものである。だから、養生をしなければいけないという。そしてとくに慎めと何度もいっているのが、飲食の欲、色欲。

 「太く短く」も、人の生き方だから勝手だが、Kさんの場合も借金が残っていたようだし、事業はこれから軌道に乗り出すところだった。ところが、Kさんは飲食も、色欲もしたい放題だった。地域の名士になり、金回りもよかったから、飲食も、色欲もいやでも寄ってきた。以前はウイルス性の肝炎になったとのことだから、どこかの女性に移され、それが、不摂生によって肝硬変につながったのかもしれない。肝硬変になると肝ガンになる確率は高い。
 度胸もあり、経営才覚もあっただけにKさんの死は惜しい。

それにしても、病弱だった貝原益軒は高齢社会の見本のような人である。そんな鉄人も最愛の妻の死に気落ちして、後を追うように亡くなっている。享年85歳。



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2007年01月06日

占いブーム「他人任せの人生」

●占い師に何百万円も注ぎ込んだ老婦人

 視聴率がいいのか、テレビではやたらと占い師の番組が多い。いい加減なことをいって、タレントを泣かしたり、驚かせたり。テレビ局は公共的な役割を担うのに、努力もせず、金もそれほどかからずに、視聴率が取れるから占い師は重宝するのだろう。しかしそれで、若い人を「人生は生年月日や名前や手相で決まってしまう」と思わせるのは、公共に値しない。

 地方に住む友人の母親は、娘の死、夫の事故死などで、すっかり気がめいって、東京の高名な占い師に占ってもらうために、たびたび上京し、何百万円も注ぎ込んでしまったという。

●一種の詐欺!?

 私も、以前高名であった何人かの、占い師を知っている。私の仕事の関係で何人かとたびたびお会いした。ある高名な占い師は、私との打ち合わせ中に、たびたび来訪する依頼者を30分ほど占い、同じ占いの本を私にはただでくれたのだが、依頼者には、10万円、地方から出てきた金持ちからは100万円も取っていた。
 
 20年ほど前だから、大変な金額である。あまりのことに驚いたが、私の仕事とは関係がないので、黙っていたが、ひどい話である。一種の詐欺である。

 株をする大企業の社長さんもお得意さんだという、美人の占い師は一回の占いで百万単位の料金を取っていた。高額な料金を取るのはマスコミに登場する占い師ばかりである。マスコミに登場すると、全国から苦しんでいる人がいやというほど来る。
 あまりに稼ぐ人は税金が怖いからと、どこかの廃寺を買って宗教法人にし、蓄財法を考えていた。
 しかし、占いをする割には自分の人生はうまくいっていない人もいたようである。ある占い師はうまいものばかり食べていたので、糖尿病で入院し、「困った、困った」を連発していた。またある占い師は、弟子にした美人占い師と不倫したため、同じ有名占い師であった奥さんが怒り、出て行ってしまった。
「食事、掃除洗濯をしてくれる人がいない」とその占い師は大変に困っていた。
 
●他人任せの人生

 当たるも八卦、当たらぬも八卦と気楽に考えたらいいのだが、人によってはのめり込む人も多い。女性は大体占いが好きである。私の女房の持っている蔵書といったら、占いの本が三分の一を占める。気分によっては健康でも、占いの本で調べたりする。
 病的でないからいいが、最近のようにテレビに占い師がひっきりなしに出ていると、「他人任せの人生」観を持つ日本人が多くなるのではと怖い気がする。 
 
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感動した!若月元院長の本

●寝かせておくだけだった病気のお年寄り

 今ではどんな田舎に行ってもお年寄り、中年の健康診断は当たり前だが、終戦直後にはそんなことは、とても考えられない話。昭和30年代に入っても、北関東の私の田舎では、ちょっとした病気でも病院へ行くなんて考えられなかった。富山の丸薬でごまかしていた。まして病気予防のための健康診断など夢のまた夢。
 
 そのため農家には、脳卒中で寝たきりになり、よだれをたらしていたり、アーウーと声を出すのが精一杯のお年寄りが多かった。私の妹などはそんなお年寄りを見ると、怖くて泣きだし、私も怖かった記憶がある。今から考えれば、お年寄りに対して失礼な話である。
 その頃の医師は、リハビリなどという考えはなく、「動かさないように」とただ寝かせておくだけだった。

●感動した若月元院長の本

 そんな時、終戦直後の悲惨な農家の状態を見て、長野県の、現在の佐久総合病院に赴任し、農村医療に身を投じたのが若き日の若月俊一元院長である。私が高校時代に古本屋で若月元院長の本を見つけたのは、「若月」という名前の清々しさからである。
 ところが、その茶色にくすんだ本を読んで読み、その活躍にいたく感動した覚えがある。
 当時病院に運ばれる患者は、もう医師の手のつけようがない人が多く、集団検診の必要性を痛感し、あの手この手で、検診の必要性を説きまわった。といっても、お説教をするのではなく、分かりやすい漫才形式で劇を演じ、また農家の人と酒を酌み交わし、その硬い心を解きほぐしていった。日本の医療を大きく支えた医師の1人であろう。
 
 すごい人がいるもんだな、と感動し、その時の感動は今も私の心に残っている。その時のくすんだ本も、残っているはずである。中身でなく汚い本はすべて捨ててしまう私の妻が捨てていなければ、残っているはずである。

 その若月元院長が昨年96歳で亡くなったことを知ったのは、昨年の暮れだった。                             

  合掌





posted by ごっとん at 12:03| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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